沖縄本島での実りある、たくさんの体験と学び(2)
二日目のホテルまで後10分ほどの、橋の手前のカーブで
信ちゃん。車椅子ドライバーになって初めて、当て逃げされました。
信ちゃん側のサイドミラーが吹っ飛びました。
橋の上では停車できないので、橋を越えた所にたまたまあったドライブインの駐車場に、信ちゃん(夫です)は車を入れました。大きく深呼吸をして、まず、何をすべきかを考え「警察に連絡を。それからレンタカー屋さんに」
分かっているのは、対向車線から車が接触した時、大きな音がした事。そしてな、なんと、窓ガラスをあけていたので私の座席の脇に、サイドミラーの鏡部分がポ~ンと飛んできた事。この二つだけで、相手の車のことは二人とも、まったく覚えていませんでした。
警察に電話をすると、「現場に戻ってください。戻らないと当て逃げした事になります」
それは大変。
信ちゃんは、戻りたくないと言いました。信ちゃんの心の中の動きは、運転をしない私、脳高次機能障害者ではない私には、分かりません。ですが、いつもの「相手のペースに合わせる」重要さを思い出し、信ちゃんの心のざわめきが消えるのを待ちました。5分ほどして信ちゃんが言いました。「戻ろう」
現場に戻りしばらく待ちました。随分長い間待ったような気もしますが、きっとそれほどではないでしょう。
おまわりさんは二人で行動するものだと思っていましたが、パトカーには一人だけでした。実際に行って(経験して)見なければ分からない体験、その(五)です。
信ちゃんの車をたまたますぐ近くにあった夕日を楽しむサイドスペースに移動するようにと指示をすると、おまわりさんは私と一緒に現場に戻り、相手の車のサイドミラーのカバーと思われる部品を歩道で拾いました。
信ちゃんの所に戻り、運転免許書を見せて書類に信ちゃんがサインなどをする間、おまわりさんはこう説明しました。
「ここは魔のカーブです。ほんの三ヶ月前も同じような事故がありました。今チェックしたら、相手は警察に届けていないようなので、当て逃げですね」
「私たちに非がないことは分かっていただけたのですね」
おまわりさんは、それは最初から分かっていましたという表情で、
「サイドミラーは開けますか?」と聞きました。
「動きます」
すると私のところに飛んできたミラーを元の位置はめ込もうと力一杯、サイドミラーの骸骨となった骨組みにしばらく押し込む努力をし、上手く行かず、言いました。
「ではホテルまでこのまま、気をつけて運転して行って下さい」
信ちゃんは一瞬、自分が言われたことが分からないかったそうです。
「このまま、運転していいのですか?」
「はい、お気をつけて」
しばらく走り出してから、信ちゃんは感嘆の声を上げました。「沖縄だね。東京ならサイドミラーが壊れていたら見逃してはくれないよ」
実際に行って(経験して)見なければ分からない体験、その(六)です。
おまわりさんの現場検証の間も何度も、レンタカー屋さんとは連絡を取り合っていましたが、ホテルに到着し、チェックインをして部屋に入り、改めてレンタカー屋さんの指示を仰ぎました。
「警察検分は終わられたのですね。では、まず、お渡ししたガイドブックの表表紙の裏の左下の保険会社(東京海上火災)に連絡をして事情を説明して下さい。」
「はい」
「ホテルにレッカー車を手配します。代車は出来るだけフリードを探しますが、フリードは人気があるので現時点では、フリードの確保は保証出来ません」
「車椅子を乗せるのにフリードが一番荷台が低いので、なんとかフリードを探してもらえると有難いです」
「努力します」
「何時ごろになりますか」
「今日中には大丈夫でしょう。夕食に行かれるのでしたら、フロントに鍵を預けておいて下さい」
レンタカー屋さんの対応は流れるようにスムーズで、後から考え、このような小さな事故は日常なのではないかと思いました。実際に行って(経験して)見なければ分からない体験、その(七)です。
夕食後フロントに行くと、レンタカーの新しい鍵を渡されました。「車種はフリードだそうです」それを聞いてほっとする私を横目に、信ちゃんは急いで駐車場の方へと向かいます。「一つ食事中も気になっていた事があるんだ」
ん、ん、ん?
電動車椅子を飛ばして駐車場に着くと、急いで車の後ろに回ります。
「よかった。あった。気づいてくれたんだ」
そこには、東京から持ってきた車椅子ステッカーが、前の車と同じようにナンバープレートの下に貼ってありました。レンタカー屋さん、ありがとうございます。
翌日はオクマのホテルから最北端の辺戸岬まで行き、そこから東側の国道を南下しました。高江を通り、辺野古を通り。
分かっていたはずですが、それは軽くは語れない車椅子ドライブ体験でした。
またの機会に是非、詳しく書きたいと思います。
初日と同じ沖縄ホテルに戻り、顔なじみになったフロントの方に当て逃げの顛末を報告しました。
「レンタカーの色が変わったでしょう?」
フロントの方の最初の言葉は、衝撃的でした。
「日本人ではなかったでしょう?」
私たちは「覚えていない」と答えました。それが事実ですから。
部屋にチェックインすると、エクストラの毛布がすでにベッドに敷いてありました。
【公式】沖縄ホテル|沖縄県那覇市大道の閑静なホテル さん、お気遣いありがとうございます。
その後石垣島に飛び、友人ファミリーと楽しい夕食を食べて、翌朝、東京に戻りました。
アルバイト先に、沖縄本島出身の同僚が居ます。若くして東京に出て来た彼は、あまり沖縄の事を話したがりません。
私は誰よりも彼に、今回の実りある貴重な沖縄本島での体験を話したかったので、立ち話ながら、一生懸命話しました。
「今度帰ったら、辺戸岬までドライブに行ってみようかな」との彼の言葉に、私はうれしくなりました。それからいろいろ話したのですが、「平らなよい場所はみな基地だった。那覇って坂の街なんだね」と私が言うと、彼がさりげなく答えました。
「自転車をほとんど見かけなかったでしょう?」
彼のこの言葉をこれからも、決して忘れてはならない。そう思いました。
北欧のベニスといわれるストックホルムで、ちょっとしたクルーズを楽しみました。
(2017年 5月 ストックホルムの船着場)