車椅子から僕たちは、新しい人生を貰った(2)
信ちゃん(夫です)が脳出血で倒れて入院してから2か月半ほど経ち、私の誕生日が近づいてきました。そこでその事を「出汁」にして、横浜のホテルへの一泊旅行に出掛けました。
一泊旅行で一番学んだ事。それは車椅子生活者になった信ちゃんには、これまでとは全く異なる
車椅子生活者としての「信ちゃんの時の流れ」がある、ということでした。そして、その流れが「私たちの流れ」にならない限り、戸惑いばかりで身動きが取れなくなる。ノホホンと幸せに生きる楽しさが奪われてしまう。大げさでなく、足底から頭のてっぺんにまでそう気付かさせてくれた、それは大切な一泊旅行でした。
話が飛びますが、信ちゃんは数多い歌手の中でも、テレサ・テンさんが大好き。「歌、うまいんだもの」だそうです。彼女の最もよく知られた曲が「時の流れに身をまかせ」というのも、嬉しい偶然です。
テレサ・テン ~ 時の流れに身をまかせ~
ところで何故? 横浜?
答えは簡単。私の実家が横浜だからです。
昔は東横線の終点だった桜木町駅周辺がどんどん開発され、みなとみらいに変わって行く過程を最初からずっと見守って来たので、どうしてもみなとみらいのホテルにいつかは泊まりたかった。結婚式をした桜木町のホテルも候補として考えましたが、もう、廃業していました。
病院を出た瞬間から戻るまで、私は信ちゃんとの一泊旅行が嬉しくて嬉しくて一人ではしゃいでいました。信ちゃんはこの一泊旅行について、ホテルの大きな窓からの観覧車と
おいしい中華料理を食べた以外、ほとんど何も覚えていないそうです。
今ほど旅のネット情報が溢れていない13年前でしたが、それでも、
1) 横浜みなとみらいのホテル
2) 誕生日サービスのあるホテル
3) 横浜の夜景が綺麗なホテル
4) 車椅子の出入りが楽なホテル
などの、みなとみらいの宿泊には譲れない条件を満たすホテルを見つけるのは、さほど難しい事ではありませんでした。「みなとみらい・ホテル・誕生日・夜景」とキーワードをすべて入れて検索したら、今も若い女性に大人気のウェブサイト、オズモールに出会えました。
小学館の女性雑誌OZのウェブサイトです。ウェブサイトを持たないい雑誌などない現在ですが、ここは「老舗中の老舗」。クオリティもとても高いと思います。今の私たちのニーズにはまったくマッチしていませんが、今でも時々、若い女性の最新お気に入りが知りたくて、OZモールを覗きます。
建設中から私がスイカ・ホテルと呼んでいたユニークな外観のインターコンチネンタル・ヨコハマグランド: ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル。みなとみらいではおそらく、一番有名なホテルでしょう。泊まりたくなかったと言えば嘘ですが、それよりもパンパシフィック・ホテル(現在の横浜ベイホテル東急)の方が安かった。大事な事です。問い合わせにもより丁寧だったような記憶があります。
障害者用客室(古めかしい言い方ですね)もあったのですが、私はどうしてもせっかくなので、湯船からみなとみらいの大観覧車が見える部屋に泊まりたかったので、ホテルのレイアウトをネットで調べて、空いているかを問いあわせました。それまで、これほどねちっこく、部屋の条件に拘った事はありませんでしたが、以後、駄目でもともと。こちらのリクエストをまず相手にぶつける、という「ねば~りメソッド」をその時教わりました。
「そちらは一般のお部屋ですが、車椅子用のスロープを入り口に取り付け、対応させて頂きます」
「部屋のお値段はOzmallからお申込みいただいたお部屋より高くなりますが、お誕生日のお祝いということですので、お部屋をグレードアップさせて頂きます」
ほ、ほ、ほ、ほ。ほ、ほ、ほ、ほ。やったね。
当日になりました。朝食後、病院からホテルまで、親友のまことちゃんの車で運んで貰いました。まことちゃんには一生頭が上がらないでしょう。仕事のあるまことちゃんは私たちをホテルに降ろすと、東京に即、Uターンしました。翌日も、迎えに来てくれました。
ホテルに荷物を預けて、いよいよ楽しみにしていたみなとみらいのショッピングモール、クイーンズスクエア探訪です。
事前に、お昼を食べたいお店の目星をつけていました。信ちゃんに何を食べたいと聞いても「おいしいもの」としか答えないのは分かっていたので、自分の好みを優先することにしていました。
そのお店の方へと、いつもの病院の庭を散歩する時のスピードで、車椅子を押します。最初は物珍しそうにウィンドウを眺めていた信ちゃん、すぐに、「もう少しゆっくり押して」と言いました。私としては、十分ゆっくりだと思うスピードで押していたつもりだったので、ちょっとムッとしました。
気を取り直し、「気に入ったお店があったら中に入るから教えて」と言うと、信ちゃんが言いました。「ホテルに帰りたい」
「えっ!」
「帰っちゃ駄目?」
「駄目ではないけれど」
「僕、部屋で休んでいるから、一人で好きにお店を見て回るといいよ」
頭が混乱した私は、車椅子を押す手を下しました。
その瞬間まで、一泊旅行では、これもやろう、あれもやろうと私がいろいろ思い描いていた事はすべて、私の「一人相撲」だった事に気付きませんでした。
今なら、ホテルに到着したらまず「トイレに行く?」と聞きます。それからボーっと2人並んでホテルのロビーで一休みをして、「そろそろ行く?」と聞くでしょう。あの時の私は、30年以上前にセラピードッグ養成学校の校長先生に教えてもらった大事な、大事な事を、まったく忘れていました。
信ちゃんが「おいしい中華料理」と言ったのは、母がスポンサーになって兄夫婦と食べたホテルでの夕食。これも、私がどうしても評判の脇屋シェフの中華料理
を食べたくて、予約を取りました。事前に信ちゃんの状況を説明して、塩味を抑えたメニューを用意して貰いました。
私なりに、やる事はやったのですよ!!!
でも、信ちゃんの生きるリズムをまったく考慮していませんでした。
「信ちゃんの時の流れ」に身をまかす。
それは正直、簡単な事ではありませんでした。
ですが、それを克服すれば、信ちゃんとまた旅行が楽しめる。
初めての一泊旅行が、そう確信させてくました。
信ちゃんを病院に送り届け、私が最初に考えた事は、「さあて、次の車椅子旅行はどこにしよう」でした。
今も車椅子旅行から自宅に戻ると、必ず考えます。「さあて、次の車椅子旅行はどこにしようかな」
今はあの一泊旅行の事をほとんど覚えていないと言う信ちゃんですが、病院に戻った時は確かにはっきり、「疲れたけれど、楽しかった」と言ってくれました。その後に、「病院の方がいい」とも付け加えましたが。
そう言えばしばらく、ロマンチックな場所には行ってないなあと思い、大好きな佐島マリーナホテル:佐島マリーナ|神奈川三浦半島・横須賀市佐島 に信ちゃんを誘う事にしました。私の誕生日も近い事ですし。
(2012年10月 横須賀市・佐島)