沖縄本島での実りある、たくさんの体験と学び(1)
今回の車椅子ドライブ旅行は沖縄本島3泊に石垣島に1泊。私たちとしては4泊5日の短い旅でしたが、信ちゃん(夫です)が「一週間以上の経験をしたね」と言うように、私も短期間の間に、本当にいろいろ体験・学習をさせて貰ったと実感しています。
これまで私たちはそれぞれ、4、5回沖縄本島を訪れていますが、どれも仕事でした。仕事が終われば定番の国際通りに繰り出すだけで、那覇が、そして本島が地理的にどのような場所なのかを正確に認識して来ませんでした。
那覇空港に午後1時半に到着した初日はまずレンタカーを借りて、障害者手帳の提示で本人と付添い人(私)が無料になる沖縄博物館を訪れました。
沖縄の歴史をかじった後は、翌日に備えてホテルに直行しました。
信ちゃんはいつも、夕食前にはホテルで軽く横になります。部屋に入ると信ちゃんは、「ベッドが硬くて、これでは寝られない」と言いました。それは大変。すぐにフロントに電話をして、毛布を2枚貸してもらいます。毛布が届くと二つ折りにして、ベッドに敷きます。このように、ベッドが硬いと言う事はよくあるので、即、あわてず騒がず、対処出来るようになりました。今回は、すぐに毛布を持って来て貰えたので、ホテルに感謝です。
そもそも今回、那覇市内のホテルとして【公式】沖縄ホテル|沖縄県那覇市大道の閑静なホテル を選んだのは、近くに人気の沖縄 那覇 栄町市場商店街 公式サイト があるのが大きな要因でした。事前に栄町市場の画像を見た信ちゃん。「おいしそうな店がいろいろあるね」と期待を膨らましています。
残念な事に日曜日だったので、開いている店は少なく、静かな栄町でした。それでも、予約なしでは無理だといわれる郷土料理の名店の赤提灯には、灯りがともっていました。赤提灯に勇気付けられ予約なしで飛び込んだのですが、運が良い事に、車椅子ですんなり入れる、入り口の席が待たされる事なく空いて、おいしい夕食を楽しみました。
これは幸先が良い。その夜はそう思いぐっすり寝ました。
二日目はまず、評判の海中道路を通り、伊計島の仲原縄文遺跡へと向います。
残念ながら実際の海中道路はネット上で見るほど美しくはありませんでした。今回の、実際に行って見なければ分からない体験、その(一)です。
仲原縄文遺跡はなかなかのものでした。
左はブルーのフリード。愛車のフリードとは色違いのレンタカーです。
伊計島の海岸はその後いくつか沖縄本島で見た海岸の中でも、穏やかで美しく、石垣島の海岸を思い出しました。また来たいと思わせてくれました。
仲原縄文遺跡の後は一路、美ら海水族館へと走ります。その後に、二日目のホテルへ。
日頃は縁のない高級ホテルですが、せっかくの沖縄旅行だと、信ちゃんが小遣いから一人6,300円プラスしてくれた事は、前にも書きました。
水族館へのルートに、カーナビは高速を勧めましたが、それでは途中の街が楽しめないのでいつものように、一般道路を選びます。島の東側にある伊計島から西の半島先にある水族館に向うには、島を横断しなければなりません。そのための道は、右に左に上に下にと何度もカーブをし、何度も上がったり下がったり。これも今回の、実際に行って見なければ分からない体験、その(二)です。
この事を、ダイビングが好きで学生時代から沖縄に通い、今も家族で必ず年一度は沖縄旅行を楽しむという理学療法士さんに話しました。「いつも高速を使っているので、カーブやアップダウンに全く気付かなかった。今度は下を走ってみます」
西側の海岸線に出たときには、正直ホットしました。そして、途中の平坦な広い場所はほぼ全て、アメリカ基地だったと知りました。今回の、実際に行って見なければ分からない体験、その(三)です。
網状のフェンスで囲まれた芝生に囲まれ建てられた住宅は、私に、今はなき代々木のワシントンハイツ
を思い出させました。
(代々木公園に今も残る、ワシントンハイツの典型的な住宅。この広さに一家族が住み、私達の羨望の的でした)
オリンピック前まで今の代々木公園を占めていた日本が無償で貸していたアメリカ軍用住宅地です。現在の米軍基地同様、日本人はもちろん許可なく立ち入りは禁止でした。
信ちゃん、幹線道路の58号線から左に曲がり、西海岸の449号線に出て、快調に走ります。お天気も良く、素晴らしい景色に、嬉しくなるようなドライブ日和です。
遠くから、海に突き出た桟橋が見えます。
「わあ、気持ちがいい!」
桟橋にどんどん近づいて行き・・・・桟橋の前で、私たちがまったく予想していなかった光景に出会いました。
沖縄民謡を流しながら、座った男性が一人。女性が一人立って居ました。後ろの入り口には、10人もの警備員が立っています。そこはT字路の交差点で、信号が赤だったので、信ちゃんの車は停止しました。
私は一瞬、どう反応してよいか分からず、思わず窓を開けて
「写真を撮ってもいいですか」と聞き
「どうぞ」との答えに
「お体に気をつけてください」としか言えませんでした。
ここはどこなのか? 道路の反対は、琉球セメントの工場でした。
東京に戻ってから、警備員が立っていたのは民間の桟橋の入り口で、そこから辺野古へ船で土砂を輸送している事を知りました。
沖縄本島ではいつも、基地の島である現実が、私たちに問いかけてくる。今回の、実際に行って見なければ分からない体験、その(四)です。
車が走り出しても信ちゃんも私も、しばらく無言でした。
それから10分ほどで、美ら海水族館に到着しました。車椅子専用駐車場へと誘導されます。貸し出しの車椅子を見ると、すべてが電動でした。水族館は急な斜面に張り付いているので、手押しや自走だとかなり辛いです。
水族館は私たちにはあらゆる意味でありがたい施設でした。障害者手帳の提示で付き添いの私も無料。どこでもバリアフリー。ですが、平日にも関わらずとにかく外国の方も含めて人が多く、信ちゃんは大プールで回遊するジンベエザメを見て「ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべみたいだ」としばらく嬉しそうに写真を撮った後、
「もう帰ろう」と言いました。
人混みは車椅子には辛いです。私も歳と共に、苦手になりました。
後は一路、二日目のホテルへ。
<公式>沖縄リゾートホテル「オクマ プライベートビーチ & リゾート」
車椅子旅行を始めて以来、これまでで一番宿泊料の高いホテルです。
同じ道を少し戻る選択もありましたが、出来るだけ海岸沿いに、時計回りで走ることにしました。途中、なんと、桜がわずかながら咲いていました。さすが沖縄。
そして、後10分ほどでホテルに到着という橋の手前のカーブで・・・
信ちゃん。車椅子ドライバーになって初めて、当て逃げされました。
信ちゃん側のサイドミラーが吹っ飛びました。
さあて、私たちはどうなるのでしょう。
ロンドンは素敵な街ですが、車椅子にはめちゃ不親切。いろいろ苦労しました。
(2010年 8月 ロンドンのホテルへと向うタクシーの中から)





