車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

信ちゃんの決心!

 信ちゃん(夫です)は、自分の体力が少しずつ減少して来ているのを、実感しているようです。そして、怖がっいる。先月の、3分以上続いた福島の地震の時、たまたまベッドの脇に立っていました。なんとかベッドに座ったものの振るえが収まらず、恐怖で顔が引きつりました。私はひたすら声をかけました。
 「私が一にいるでしょ。何があっても一緒でしょ」
 こんな時、「大丈夫よ」とは言いません。先が見えない揺れの中、「大丈夫」は禁句です。
 実は年末年始、天候の不順と気圧変動でしばらく、室内を上手く歩けませんでした。定例の理学療法士の訪問もお休みが続き、ベッド近くのトイレにも歩いて行けず、尿瓶のお世話になりました。
 そうこうしているうちに2月になり、3月に入り・・・・
 そんなある日、信ちゃんがしたのです。
 「このまま家に閉じこもっていると、車の転が出来なくなる。一週間に一回で良いから、駐場まで歩いて車の運転をするよ」
 私は運転が出来ません。ずっと信ちゃんの駐車違反担当として免許書を持っていましたが、結婚してからはペーパードライバー。それも70歳を迎えて返還しました。


 信ちゃんは、私が知らない間しばらく、ヘルパーさんに同乗して貰い、近所を車転して回ったそうです。


 そして今回、信ちゃんは高らかに宣言しました。
 「必ず一週間に最は一回、車の運をする。お昼ご飯を食べるのもいい、買い物をするのもいい。家に篭っていては『うじゃじゃけて』しまう」
 うじゃじゃけてというのは仙台出身の私の継母の口癖です。父と再婚した当時、継母の仙台弁にはずいぶん驚かされました。まったく分からないこともありました。
 信ちゃんはそんな継母得意の「独特な」言い回しが大好きです。継母は去年10月天国に旅立ちました。
 正直な所、自宅から駐車場まで歩くのが天候に左右され、辛い日もあります。「怖くても続けていいと、どんどん歩けくなるからね」
 そんな最中、待望の左足の装具、短下肢装具硬性タマラック継手が届けられました。


 新しい装具を使っての、駐車場までの訓練が始まりました。倒れた時からお世話になっている先生に「一ヶ月はとにかく、慌てず慣れるように歩く事」と言われました。「倒れたら、先はないよ」
 初体験は何でも「どきどき」と「恐れ」が待っています。
 さあて信ちゃんはいつ、タマラック使いこなせるようになるでしょうか。
 楽しみです!


 先日、日本に長く滞在すると永住権(グリーンカード)を失う可能性があると、やむを得ずアメリカに帰国する友人と、塩留シティセンターの42階にあるレストラン:

でランチを食べました。食事はおいしく、景色も素晴らしく、値段も税込みで2,000円以内。車椅子用駐車場もあり、身障者手帳の提示で割引もあり、また行きたいと思いました。


 ロサンゼルスで舞台の音響・照明関連の仕事をしている友人は、去年の3月から一切仕事がない。キャンセルではなく延期なので、収入がまったくないと、辛い現状を話してくれました。ラスベガスでは今年の8月まで、すべてのショウをストップしているそうです。
 これは、倒れて3年目。2度目のラスベガスの帰りに立ち寄ったサンタモニカのホテルから見た、サンセットです。

(2008年1月 サンタモニカ)

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