車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

最高の車椅子旅行の友だったお母ちゃんに、捧げます!

 2ヶ月近くぶりの投稿になります。


 2020年9月11日午前3時4分、私の大親友であり最高の理解者だった継母が天国のドアを叩きました。今日は、「お母ゃん」との旅行の思い出を書かせて頂きます。

 2002年。チュニジアの首都チュニスにあるバルド博物館のモザイク画に見入るお母ちゃんです。
 写真はこの投稿の最後に、掲載したものです。 


 信ちゃん(夫です)が2005年に脳出血で左半身不随の一級障害者となってから2年後の2007年。2度目のラスベガスの車椅子旅行からスタートして、2014年の出雲・石見銀山の車椅子旅行まで、私たちはお母ちゃんと3人で海外7回、国内2回の車椅子旅行を楽しみました。


 お母ちゃんは父とは25歳近く離れており、父が亡くなった時にはまだ50代でした。当時、仕事に追われた私たちに「親孝行」は無縁でした。が・・・やっと人から譲受けるのではなく自分たちのお金で冷蔵庫が買えるようになった40歳を前に、信ちゃんと「1年に一回、海外旅行に行こう」と決めました。
 「お父ちゃんがなくなり一人になったお母ちゃんも?」
 祖母と父の最期をお母ちゃんにまかせっきりだった贖罪の思いもありました。つましい旅の中で、食事だけはしないですんだのは、「お母ちゃん」という都合のよいスンサーを見つけたからでした。信ちゃんをトイレに連れて行く間、荷物番もしてもらえます。
 1997年のスペインに始まり、信ちゃんが脳出血で倒れる前の最後の旅となったメキシコまで、13回、海外旅行を楽しみました。


 お母ちゃんは本が大好き。音楽が大好き。絵画が大好き。豊富な知識とエネルギー溢れる好奇心一杯のお母ちゃんのおかげで、信ちゃんと二人だったら気づかなかった、見過ごしていた、経験できなかったであろう多くを、体験させて貰いました。
 魔女が大好きなお母ちゃんが「のぼる!」と連呼した、ブロッケン山

に登り、雪の中で遭難しそうになったのも、必死でドレスデンのコンサートhttps://www.dresdnerphilharmonie.de/

の予約を取る気になったも、オランダのキューケンホフ公園

に行けたのも、花が大好くなお母ちゃんが「行きたい!」とおおきを上げてくれたおかげです。
 そして一番の感謝は、三人が同じ思いで海を眺め、山を見つめ、景色に囲まれ、絵画の前に立てた事です。
 特に私が忘れられないのは、ウィーンのベルベデーレ宮殿に飾られたイゴン・シーレの「ひまわり」の前で並び、「私財すべてを投げ打っても、この絵が買えるなら持って帰りたい」と三人で意見の一致も見た時です。どれほど立ち尽くしていたのか。覚えていません。

 イギリスの鉄道の旅も、お母ちゃんと一緒でなければ、大変な苦労だったのではと思います。

 8月始めに脳腫瘍で昏迷状態になり「写真と葬儀場の準備を」と言われたが、お母ちゃんは9月11日まで頑張りました。コロナの影響で葬儀場の確保は一週間後の9月19日になりました。
 9月19日は「父の命日」です。


 父が健在の頃から始めた「命の電話」

のボランティア活動をお母ちゃんは、30年以上続けて来ました。通夜には、そのお仲間が来て下さいました。葬儀場の方に「コロナの影響下、最近は参拝者が少ないのですが、多くの方に来ていただけましたね。お母様は皆さんに本当に愛されていたのですね」と言われ、継娘は鼻高々でした。
 まだまだお母ちゃんとの旅の思い出は沢山あります。また是非、投稿したいと思います。

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