車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

悔しい! 結局、車椅子旅行には行けていない!

 情けい事に、私たちには、めちゃめちゃエネルギーが枯渇しています。コロナに全身毒されているような気持ちです。車椅子旅行には今年になり1月の社員旅行以外、一度も出かけていません。
 悔しいから信ちゃん(夫です)と、これまでの車椅子旅行の思い出をチビチビ、チチビ話しています。それと、コロナが収まったらまず、どこにこうか、とも。


 先週のある朝、何気なく信ちゃんに聞きました。
 「一番覚えている車椅子旅行の思い出は何?」
 大好きなビートルズの故郷を旅した「イギリス車椅子鉄道の旅」

と答えるのかと思ったら、まったく私の想像を超えた答えが返って来ました。
 それは、40年来の友人たちと「山形」に旅行をした時の出来事でした。


 友人たちと別れてから、新幹線の時間までしばらくあったので山形駅構内の名店街を私は、信ちゃんの車椅子を押しながら、「おいしい名産品はないかなあ」とウロウロしていました。
 その時です。山折れ帽子が似合う60歳前後と思われる男性が信ちゃんに屈みこむようにして声をかけました。
 「親孝行のお嬢さんで、お幸せですね」
 信ちゃんは一瞬、不思議そうな顔で男性を見上げ、しばらく間が空いてから
 「ああ、ありがとうございます。娘ではなく、妻です」と答えました。
 男性は、「それは失礼しました」と後ずさりし、私に何度も頭を下げました。


 実は私、幼顔です。昔からいつも実年齢よりも若く見られました。本屋で大学受験の本棚の前に立っていたら、「高校受験の本はあっちの棚だよ」と親切に教えられたり、アメリカでは40歳近くまでアルコールを飲もうとすると、年齢チェックのためにパスポートの提示を求められました。
 一番お気に入りは、パリ・オルリー空港のチェックインカウンターでのエピソードです。私のパスポートを見た係りの女性が声をあげました。
 「GOOD MAINTENANCE! You look so young」(メインテナンスが上手なのね。(実年齢よりも)とても若く見えるわ)
 その時、50歳を過ぎていました。


 若白髪だったので、40歳後半からずっと髪を染めていました。仕事を止めて髪を染めなくなってからもう5年近くになります。真っ白ではありませんが、髪はほとんど白くなりました。今は年齢相応の外見となりました。


 信ちゃんはあの時の男性ともっと話しをしたかった、と言います。
 「どうして?」
 
「娘だと言われて、すごく嬉しかった。どうしてそう思ってくれたか、けばよかったのに、ちょっとビックリしてしまったので」


 そうだね、信ちゃん。出会いがあってもそのまま過ごしてしまった事の方が多かったね。これから車椅子旅行に出て出会えた人たちとは、出来るだけ多く話しをしましょう。


  今回のコロナ下の状況で改めて、人とのコミュニケーションがどんなに大事か思い知らされている毎ですから。


 コロナが収束したら何処に行こう。
 信ちゃんが提案してくれました。「言葉を学ぶには、その国で暮らすのが一番。韓国で一ヶ月くらい滞在したらどう?」
 という事で今、コロナの後にまず、釜山に行こうと考えています。いろいろな旅行記を読むと、都会としては釜山が車椅子に一番優しい街のようです。
 目標が出来ました。早速、釜観光公社にメールを送りました。

返信が来ました。
「車椅子でも滞在できる民宿も多いので、是非おいでください}


 ルン、ルン
 ウリヌン・チグン・チンチャヘンボッケヨ(私たちは今、とても幸せです)


 写真は、私が1970年代に初めてヨーロッパに行き、最初に宿泊したストックホルムにある、世界で唯一つの帆船のユースホステルです。

(2017年5月 ストックホルム)

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