車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

車椅子ドライブ旅行再開!まずは長野へ2泊3日


 親友夫婦から、週末に電話がありました。2月の始め、すでに品薄になっていたマスクを近所で見つけたからと、一箱90枚のマスクを送ってくれた優しい、大事な友です。
 信ちゃん(夫です)が倒れた時、片手でも使いやすいトイレト・・ホーダーがあるからと、即、プレゼントをしてくれました。そのホールダーは15年経った今も健在で、愛用しています。
 姪っ子の誕生日祝いに誘われ、千葉まで行った。宿泊した宿がとても興味深かったと、電話口の向こうで嬉しそうに報告してくれました。人間魚雷「回天」に乗る若者たちが最後に宿泊した宿だったそうです。

 千葉に人間魚雷が出港した港がある事はまったく知らず、前々から行きたいと思って居た千葉の縄文遺跡

と組み合わせて、千葉の車椅子ドライブ旅行を出来るだけ早くしたいと思いました。
 と同時に信ちゃんと、広島の江田島で見た(体験した)資料館の重さを思い出し、しばらく忘れていた事を話し合いました。
 話が飛びますが、私には40代後半に肉腫と診断されてから3ヶ月でこの世から別れを告げた親友がいました。両親共に広島原爆の被爆者なので、私は「肉腫」と診断された彼女が「体内曝」

の被害者だと思っています。
 親友が死んだ30年前近くの当時は、原爆2世の「体内被曝」などないが、常識でした。311以降、普通に使われ認識されている言葉となり、嬉しく思っています。
 東京の病院で亡くなった彼女のお骨を広島の実家に、夏の暑い中初盆で飛行機で膝に乗せて届けた時、信ちゃん(まだ脳出血で倒れる前。ぴんぴんしていた時です)とせっかく広島まで来たので、観光でもしようかと迷いました。共にすでに

には何度か個別に訪れていました。
 「広島には、魅力的がたくさんありますよ」との親友のお母さんの言葉に広島駅の観光案内所でもらった地図を眺め、二人で「ここにしよう」と決めました。海軍兵学校があった広島県の島の中でも特に有名な、「江田島」です。特に目的もなく、たまたま時間があったので、観光気分で

を訪れました。そしてそこで、今回親友が見つけた人間魚雷「回天」特攻隊員の手紙(遺書)に出会いました。
 気楽に見学するつもりでしたが、結局2時間以上、そこに残された死地へと向かう若者たちの手紙に吸い寄せられました。みな達筆で、いずれも一編の短編小説のようでした。



 その後、しばらくまったく忘れていた長野県上田市の「無言館」を思い出しました。

「行きたいね」
「うん、行こう」
「せっかくだから、長野の縄文遺跡(私たちは、縄文時代フェチです)を2,3箇所回る、2泊3日、または3泊4日の車椅子ドライブ旅行にしよう」


 梅雨に入りました。今日も大雨です。梅雨が明けたら、行きます。
 しばらく外出を控えていた事で、どうも体がなまっているようです。体だけではありません。怖いですね、心もなまっているようです。なんとなく日々が過ぎているここ3ヶ月でした。
 それではいません。 
 車椅子ドライブ旅行を再開すると兄に電話を入れました。旅が好きで、美術館や博物館巡りに仲良く出かける兄夫婦はすでに、無言館も訪れていました。
 「薦めようと思っていたんだ。きっと気に入るよ。だけど、コロナで開館時間の変更もあるだろうし、車椅子は大丈夫か、ちゃんと事前にチェックするんだよ」
 コロナのおかげで、兄の優しさをあらためて実感させてもらいました。13歳で母をなくした私と兄の関係は、大学受験に同伴して貰うなど「平均的な兄妹よりも仲が良い」と信ちゃんは言います。
 早く、が明けないかなあ!!待ち遠しいです。

(2012年 サハラ砂漠でらくだの背中に)

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