「目から鱗が落ちた」岩手県北上市の夜
今年、創業50周年を迎えた信ちゃん(夫です)の小さな舞台音響会社の創成期に、経理の仕事を10年近く結婚するまで働いてくれていた「のり子」さん。子供も独立して故郷の岩手県北上市にUターン。気ままなカフェのオーナーになりました。
そんな北上が青森の弘前公園、秋田の角舘に続く「東北の三大桜の名所」と知った私たち。2年前に義姉と3人で北上へと出かけました。残念ながらその時は時期が少しずれ、葉桜が始まっていました。
今年はリベンジの「12,000本の桜を見る」旅を再び計画。ただ、温暖化の波に漂い、最初の宿の予約を3度変更しなければなりませんでした。その結果、大好きな東横インのハートフルルームが確保できず、コンフォート・ホテルのユニバーサルルームになりました。部屋はとても広いのですが正直、使い勝手が悪く(トイレの手すりや洗面台のタオルの高さや位置一などなど)、信ちゃんは苦労していました。ベッドの高さだけは東横インのハートフルルームより少し高く「装具をつけていなくても立ち上がりやすい」との事でしたが。
三泊したのですが、2日目は驚くほどの晴天に恵まれ(前日は小雨でした)、桜並木を馬車が走り、
広々とした土手では大道芸人さんが技を競い、

それはそれは楽しい一日でした。
あえてブツブツ言わせて貰えるならば、聞こえてくる言葉の多くは外国語でした。たまたま屋根のある小さな休憩所に座った時にお会いしたのがみな地元の方々で、日本語で話が出来てほっとしました。「北上の冬のスキー場は、中国人に占拠されている」などのお話を伺い、楽しいひと時を過ごしました。
初日の夜はのり子さんが都合が悪く、二人だけで彼女のお薦めの店「マコトヤ」のカウンター席に。二日目は前回伺いお気に入りとなった
に3人で再訪。たらふく食べました。
そして三日目。日曜日だったので北上では多くの店がお休みです。そこで「さくら野」というショッピングセンターの中の「さくら寿司」に行く事になりました。のり子さんは「2段、階段があるけれど、店の方が手伝い持ち上げられると思います」。そう聞いた時にWILLだと無理かなと一瞬考えたのですが、まあなんとかなると深く考えず、店の前まで来て絶句しました。

どう考えても、この2つの階段を突破出来ない。
すると、「手伝いますよ」と店内から出て来た青年がしばらく考えて、こういいました。「受付から車椅子を借りて来て下さい」。しばらくするとさくら寿司の女店員さんが、折り畳み車椅子を運んできました。青年は「これに乗れば、店内に運べますよ」と軽やかに言い、恐る恐る車椅子を乗り換えた信ちゃんを仲間と一緒に、あっという間に店内に運んでくれました。
車椅子を待つ間、青年はいとも気軽に言いました。「僕たちは介護士です。人助けは僕たちの使命であり、幸せです」
私たちよりも先に食事を終えた青年たちは、私の所に来て「食事を終えられるまで、外で待ちます。気にしないでください。僕たちは介護士ですから」と申し出てくれました。
もちろん、丁重にお断りしました。「この車椅子でしたら、私一人でも階段を降りられますから」
のり子さんはあわててカフェの名刺を取り出し、青年に渡しました。「近くでカフェを開いています。お友達と是非、来てください。コーヒーをご馳走します」
信ちゃんが倒れて以来20年間、信ちゃんの車椅子と仲良く、そして時には戦いながら生きて来たのに、あの青年の発想を私には思いつけませんでした。
外に出ると周りは真っ暗。その時、どこかから太鼓の音が聞こえました。次に、笛の音も。音の方向を向くと闇の中から、神楽が現れました。太鼓も笛も、子供たちが叩き吹いています。神楽は目の前を通りしばらくすると、右手へと姿を消しました。それはまるで、幻想の世界へと紛れ込んだような経験でした。のり子さんは何度も「この時間に神楽を見たことがない、まして子供たちの神楽を」とつぶやきました。
周りでは新幹線が止まったり、都内では山手線や東北線が止まったり。いろいろなニュースが流れていましたが、JRもバスもほぼ遅れる事がなく、途中、立ち寄り一泊した福島から帰京。4時間後には自宅でお茶を飲んでいました。
4泊5日の旅。多くを経験し、多くを学びました。さくら寿司で出会った介護士の青年たちへ。本当に、本当にありがとう。