車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

5月9日から4泊5日で対馬に行って来ました(後編)

 前編の最後の写真の食材。一般的にはこのように調理されます。これだと馴染みの味でおいしく頂きました。

 刺身だと、このように。あくまで「試し」でお願いしたので、これが通常の半分の量だそうです。信ちゃん(夫です)はこわごわ手を出し、「嚙み切れない」と言いました。そして、ヘタに飲み込むと以前、函館で「クエの刺身」を食べた時に窒息しそうになった事を思い出し、食べるのを諦めました。

 白焼きにして貰ったら、食べやすくおいしく、美味でした。
 対馬ではこの食材の「カツ」も人気でトンカツ以上の厚みがあり、これまた美味でした。

 もう、お分かりの事と思います。これが対馬が日本一の漁獲量を誇る「穴子」です。


 対馬の初日5月9日の夜は、「プロペラ機」体験に疲れ果てたので外に出掛けることなく、近所の居酒屋でテイクアウトをして早寝をしました。
 翌日10日はまず、2022年4月にオープンした、宿から徒歩圏内の、まだピカピカの2年生の博物館に。

 そこで対馬には長崎県文化財指定の「越高遺跡」のほか、数多くの縄文遺跡がある事を知りました。これまでこのブログを読んで下さった方々はご承知のように、私たちはプチ「縄文遺フェチ」です。2015年の朝ドラ「まれ」に触発され輪島から能登半島を一周。そしてその最後に、「真脇遺跡」http://www.mawakiiseki.jp/

に出会いました。
 以来、南は沖縄本島・伊計島にある仲原遺跡から、北は北海道のキウスまで多くの縄文遺跡を訪れました。
 何故「縄文遺跡に?」学術的な関心はほぼゼロですが、信ちゃんの言葉を借りれば「そこに縄文のが吹ているから」です。
 ということで11日に、対馬の宿から一番近い「峰」遺跡に、バスに片道2時間近くをかけて行く事にしました。
 これからが、今日のです。


 対馬やまねこ空港から宿のある厳原までは山道をくねくねとボスで30分ほどの距離です。空港からのバスは「対馬交通」からのメールで「現在スロープ付きの車両につきましては、縦貫線(全便)」と書いてあった縦貫線だったので、何の心配もなく同じ飛行機だった、Kpop関連の仕事がしたいと長崎から

に「離島留学」した女子高校生と、ベンチで1時間のんびりバスを待ちました。
 バスが到着してスロープを使い、信ちゃんは無事バス車内に入ったのですが運転手さん、
「これまで一度も車椅子の乗客を乗せた事がない」とい事をおっしゃいます。それでもその方はお一人で、床にへばりつきながらなんとか、信ちゃんの指示に素直に従い、電動車椅子をバスに固定する事が出来ました。10ほどかけて
 11日は前日の博物館で「縄文遺跡」に詳しい学芸員の方からの勧めで、宿から一番近い「峰遺跡」の展示を見に行く事にしました。往復で4時間ほどのバスの旅になります。飛行場から厳原までの素晴らしい景色を十分堪能できると、信ちゃんと喜びました。実際に、本当に美しい自然。森と小さな入江、それに海。楽しかったです。
 「厳原のバス停を10時50分に出発すれば三根(峰)に12時半過ぎには到着。帰りは1時55分のバス乗って下さい。それを逃すと次は5時過ぎまでありません」。そう、対馬観光物産協会の方に強く念を押され、メモを渡されたので、三根のバス停に降りた時、バス停の脇の事務所の係の人にその旨を伝えました。「置いて行かないでくださいね」。そして念のためにと、こういいました。「そのバスは車椅子用のスロープのついたバスですよね」
 対馬交通の三根事務所の方の答えはびっくりでした。「いいえ、普通です」
 噓でしょう!
 「話が違います。対馬交通の方がメールで縦貫線は全線スロープ付きのバスだと書いてきたのですよ。だから、ここまで来たのです」
 係の人はさして慌てる風もなく「普通車です」を繰り返すだけです。「車椅子は貨物として乗せます」
 対馬の方々はみなさん誠意に溢れ優しい。ですがこの時だけは私、「爆発」寸前でした。
 脇で静かに私たち二人の会話を聞いていた信ちゃんはしばらく考え、こういいました。「なんとか手すりにつかまり、バスによじ登るよ。ここで話をしていても埒が明かないし、時間の無駄。早く峰遺跡に会いに行こう」
 峰遺跡の展示は小さなものでしたが、「来てよかった」と納得しました。


 信ちゃんと少し早めに三根のバス停に向かいました。そして…目にしたものは…。

 事務所前の広場の大きなバスが待っていました。信ちゃんだけのために。
 比田勝から来た、韓国人観光客を乗せたバスが信ちゃんの後ろに停まっています。
 下の写真3枚。三根での格闘の図ですが、10時50分のバスでも同じようなシーンが見られました。 

 格闘は10分以上続きました。その間、韓国人観光客の方は大人しく待って下さり、発車の直前に私たちのバスに移動しました。
 これだけ頑張って下さったのですが、すぐに前のベルトが緩み、信ちゃんは必至で右のハンドルに掴まりました。その後、次の事務所のある停留所で、またしばらく格闘がありました。
 厳原の終点に到着すると、対馬交通のメールを下さった方が待っていました。とても恐縮されていて、「お詫びに来た」とおっしゃるので、「それは違う。感謝しています。ただこれを機会に、車椅子の固定のをされてはいかがですか」と言いました。
 それにしても、車椅子の個人観光客がめて?馬交通の方もびっくりでしょうが、私たちもびくりの今となっては楽しい体験でした。
 12日は、今回のハイライトの一つ「朝鮮通信使歴史館」に。GW直後であり、日曜日だった事もあり、団体が一つだけで後は私たちだけ。案内の方と2時間以上いろいろなお話をさせてもらいました。
 私としては思いがけず信ちゃんが朝鮮史に詳しいのでちょっと驚き、ちょっと嬉しかったです。「朝鮮通信使もそうだけれど、朝鮮王朝って本当に面白い。900年も続いたのは世界中さがしても朝鮮だけだよ」
 私は、徳川幕府2代目から始まった通信使行列に、小童と言われる主人の身の回りの世話をする少年たちがいて、彼らがいずれも美形。本来通信使と一般庶民との交流は認められなかったが、女性たちが行列を楽しみにしていたと聞き「今のKpopのアイドルですね」と言ったら「そうです」と受けて下さった案内の方。嬉しかったです。ありがとうございました。


 これまでの旅行先のリストを掲載しています。

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