車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

スペイン・バレンシア空港での1時間半のバトル

 去年に引き続き、10日間同じAirbnbの部屋に滞在して、バレンシアを堪能して来ました。去年のレポートです。

 前回は水族館がハイライト。今回のハイライトはビオパーク(バレンシア動物園)です。ここ

はヨーロッパでも良く知られた、有名な動物園だそうです。これまでも人気の個性的なNZウェリントン・旭山などいくつもの動物園を楽しんで来ましたが、ビオパークが私たちは一番気に入りました。どうしてだろうと信ちゃん(夫です)といろいろ話し合った結果、改めて今は、「オタク」の時代だという結論に二人で達しました。まんべんなく何もかも揃うデパートの業績が低迷する中、好きな物の専門店の人気は安定しています。今はそういう時代なのではないのか、と。というのも・・・
 ビオパークは世界中の動物を総当り的に見せるのではなく、の動物だけに特化しています。サバンナ・エリア、赤道直下エリア、マダガスカル島エリアの三つに分かれていて、基本、柵はありません。そこでこんな風にすぐ近くで、ワオキツネザルの写真が取れました。詳しくは、またの機会に。 



 今回は帰路のバレンア空港での1時間半のバルの顛末をお話しないと。


 車椅子で旅行をするということは、何かかならずがあると同義語に近い。そう思っています。みなさんもそれぞれ経験がおありでしょうが、私たちの例をとっても:
1) ニュージーランド空港の機内で、アテンダントの女性が近づいてきて「お客様、申し訳ありません。車椅子にアクシデントがありました」と言われました。オークランドからの帰路の便の中で、羽田に着けばなんとかなると思ったのであまり慌てなかったのですが、羽田で受け取った車椅子の前車輪の左ストッパーが、いました。
2)同じニュージーランド航空ではその前年、後ろのハンドルを曲げました。


 信ちゃんの解説によれば、「ニュージーランド航空の作業をするお兄さんお姉さんたちはみんなオールブラックス

の選手みたいにだからだ」そうです。


3)今年の久米島の旅でも、バッテリーでばたつきました。

  しかし何と言っても車椅子旅行での、これまでの最大のは30年ぶりに友人に会いに行ったマンチェスター空港に到着したとたん、ロンドンの乗換えで「車椅子を積み忘た」と言われた事です。


 今回のバレンシアからの帰り。空港でお土産を買おうと、2時間半前に空港に行き、列の一番初めに並んで、誰よりも早くスムーズにチェックイン・・・の予定でした。
 ところが、バッテリーを2つ同じ機内には乗せられないと言われたのです。
 「予定は確定にあらず」が私の口癖ですが、それはあんまりです。


 去年、バレンシアの公園や市内の散策が本当に楽しかったのですが、バッテリーの容が足りず、途中でやむを得ず引き返す事がありました。今回は、私が一日に歩ける限度まで歩き回ろうと、バッテリーを2つ持って行くことにしました。久米島行きの時と同じです。
 久米島車椅子旅行の苦い経験を繰り返すまいと、羽田のカウンターでしっかりとバッテリーは2つと申請し、1つを頑丈な箱に梱包して貰いました。これでバレンシアまでの荷物はトランクとバッテリーの箱の2つになので、預かチケット2枚が搭乗券に貼られます。
 バレンシアには日本からの直行便がないので、去年と同様に、フランクフルト乗り換えにしました。フランクフルトまではいつものANAです。同じスターアライエンス・グループのルフトハンザでバレンシアに飛びます。
 帰路ももちろん、同じコースです。
 なので当然、羽田でのANAのチェックイン同様にバッテリーを二つ持てるものと信じて疑いませんでした。


 ・・・


 なんと、飛行機にバッテリーは1個しか乗せられないのがルフトハンザのルールだと言うのです。「。日本から2つ持って来て、問題なく入国したのよ」
 イタリア人でトルコ人のボーイフレンドが居て、バレンシアで働けるのがとても幸せというカウンターのおねえちゃん。気はめちゃめちゃいいのですが、「私には一切権限がないので、上司に問い合わせます」を繰り返します。
 私も最初は「では、上司にさっさと問い合わせをして下さい」と冷静にリクエストをしたのですが、30分ほどまっても埒が明かないので、イライラし始めました。そこに、おねえちゃんよりも頭の固そうな2人目のめが女子が登場。
 「ルールだと1台しか載せられません
 「何を馬鹿言っているの。2つ持って入国させてくれたのよ」
 「今、どうして入国が可能だったのか問い合わせています」
 「そんなことはどうでもいいから、早くチェックインさせて」
 1時間経過した時に、さらに上司と思われる3人目のスーの女性が登場。
 「私たちはルフトハンザの出先機関であり、ルフトハンザのルールでは1台しか認められません。私たちには例外を決める決定権がありません。今ルフトハンザに問い合わせをしているので、今しばらくお待ち下さい」
 もうこの頃になると、私は泣きそうでした。
 唯一のは、信ちゃんが私に交渉を全面的に任せて、トイレに行ったり、遠くのカウンターの美人のお姉さんの写真を撮ったりと、好きに時間をつぶしてくれていたことでした。
 1時間半経ち、こちらに来てくださいと、チェックイン・カウンターの正面にある、相談窓口まで誘導されました。「ルフルトハンザとはずっと連絡を取っています。こちらとしても、どうしてバッテリーを2台持ち込めたのか、どのような例外ルールがあるのか。今後のためにも、きちんと説明を受けたいと思っています」
 その時、信ちゃんがおごそかに言いました。
 「もういて行こうよ。日本に戻って保険で補填して貰おう。事情を話せばきっと大丈夫さ。このままじゃ、飛行機に乗り遅れる」
 「そうだね信ちゃん、そうしよう」と言いながら私は、保険が出なかった場合を即思い、バッテリーっていくらするのだろうと考えました。そこで信ちゃんに尋ねると、信ちゃんは迷うことなく「5万円くらいだったと思う」と答えました。「よく知っているね」「うん、前に調べたことがあるから」
 うちの信ちゃんは思わ所で、頼りになります。


 一度決めたら後は振り返らない。私たちは相談窓口からカウンターへと一直線に向かい、搭乗券を発券してもらい、ラウンジで一休みをして心を落ち着かせ、時間になったので搭乗口へと向かいました。
 搭乗口に行くとさっきのイタリア人のおねえちゃんが嬉しそうに「解決しました。バッテリーはちゃんと、日本に持って帰れますよ」と言いました。彼女と一緒にVサインをして私は、信ちゃんに写真を撮ってもらいました。
 機内に入り、座席に腰を下ろして出発を待ちます。
 「持って帰れる。よかったね」と喜ぶ私に信ちゃんが冷静に
 「預かチケットは?」と聞きました。
 「あれ、くれなかったよ」
 慎重で几帳面な信ちゃんは、「荷物の預かチケットがなくて大丈夫かなあ」と何度かその後もつぶやきました。
 「羽田に着けば分かるわよ」と私は心の中で答えました。


 羽田に到着しました。
 荷物レーンから運ばれてきたトランクを見て私は、外付ポケット部分が少し膨らんでいる気がしましたが、特に改めませんでした。
 結局、バッテリーが荷物レーンから運ばれて来る事はありませんでした。


 ANAの窓口に行き事情を説明します。信ちゃんのパスポート番号までも書き込んだなかなか大げさなA4一枚の書類が出来上がりました。預かチケットがないので、紛失物届けになるそうでした。トランクを受け取り羽田を出るまではなんだかだと、30分以上かかりました。それでも迎えを頼んでいたので、6時には自宅に戻れました。
 一休みした信ちゃん。「疲れたから、僕もう寝る」と言うのでトランクからパジャマを出そうとして、トランクのタグに書かれたトランクの重量を見ました。出発時点ではたしか23キロちょっとだったはず。それで「重い」という注意書きを付けられました。それが、タグの数値は26キロ以上になっています。
 急に思い出しました。外付ポケットが異様に膨らんでいる事を。


 そうです。
 トランク本体にはロックがかかっていたので、外付ポケット部分に、バッテリーをサランラップのようなビニールでぐるぐる巻きにして入れてくれていたのです。これならば、預かチケットは必要ありません。
 「あ~あ、よかった」と思った瞬間、青くなりました。
 Tシャツなどでこれまたでぐるぐる巻きにした、信ちゃんのギブスのような替えの足の装具がトランク中央に入れてありました。バッテリーを外付ポケットに入れて上から重量のある物を載せられていたら。放り投げられていたら。信ちゃんの装具の運命は・・・


 
 足の装具は無事でした。
 紛失物届けの窓口は夕方7時までだったので、翌日9時一番に連絡をして、バッテリーが外付ポケットに入っていた事を伝えました。


 
 それでもは楽


 今回、闘牛場を見学に行きました。一般とは別のフラットな入り口がありました。闘牛士が練習している様子を垣間見ることが出来てラッキー。そして、この昇降機を見つけました。車椅子でも闘牛が見られると知り、信ちゃんは「闘牛のシーズンっていつ?」と聞きました。いつでしたっけ?

(2019年5月 バレンシア・闘牛場の観客席への階段)

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