車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

7カ月ぶりの北上・福島2泊3日の旅で思った事(前編)

 以前書いたように去年の9月4日、8回目の北海道車椅子旅行から戻った5日に信ちゃん(夫です)は、床に倒れました。
 ベッドから起き上がる事は出来るものの歩く事は出来ず、食事はトレイに乗せて三食ベッドの上に運び、トイレには、昼は車輪のついた椅子に乗り移動。夜は尿瓶の生活が3カ続きました。遊びに来てくれた親友に「あなたちょっと、変よ」と言われて、「信ちゃんノイローゼ」に罹った?と思ったのは本当です。
 ですが、信ちゃんは不死鳥のように頑張ってくれ、2023年を幸せに迎えました。
 1月には、信ちゃんの小さな音響会社のみんなと川崎大師に初もうでに行き、2月に入りスキー旅行にも行きました。いずれもコロナ禍の前に長く続けて来た8月15日の六郷土手終戦記念日花火大会同様、大事な社内行事です。そんな日常が戻って来たからか、「旅をしたい」と水を向けると信ちゃんは、「新幹線に乗りたい」「旅行?2泊3日ならいいよ」と言いました。

 そして…今回の旅行。満足しましたが、いくつか残念な事や、反省する事がありました。何度経験しても、車椅子旅行は楽しく、「生きる」知恵をくれます。そして、一筋縄で行かない。分かってはいるのですが。
 まずは、旅の始まりの「東京駅」でのお話です。
 しばらく新幹線に乗らない間に、階段しかなかった新幹線の入り口にスロープがもうけられていました。道路から駅改札レベルまでは階段だけだった目黒駅にも昨年、スロープが出来て、楽になりました。
 よかったねえ?ですか?大きな荷物を持ったり、足がおぼつかない方には朗報でしょうが、私たちはしました。東京駅から新幹線にのる楽しみが二つ、減ってしまったので。
 どうしてか?まず下の投稿をお読みください。

 私たちの新幹線に乗る前の幸せが、まず奪われました。
 次に、丸の内南口を出たすぐ左にある東京駅の車椅子合室:http://www.sennin.com/sennin/2013/TWRoom01html.htmlの変容です。殺風景で味気ない待合室になっていました。

 以前は、職員の方が撮ったSLの写真や橋の美しい風景写真が壁にられていました。それを見るのが、楽しみでした。そして、そんな写真の一つを撮影された方が新幹線まで誘導して下さった事があり、待合室から新幹線の出発まで、ガス灯が豊かな通路を歩きながら、いろいろな会話を楽しむ事が出来ました。
 楽しみが減っただけではなく、新幹線に乗る前に腹立も一つ、ありました。
 東京駅の西端の待合室から、八重洲側(東端)にある新幹線ぐちまではかなりの距離があります。朝の雑踏をかき分けて一般通路を車子が進むのは、ヘタに誘導されると怖いです。
 今回、4月に入社した(定かではありませんが、そうとしか思えない対応)若い女性職員が先導してくれたのですが、これが「ヘタ」。まず、声を張り上げられない。しばらくは大人しく後ろをついて行きましたが、途中から信ちゃんの右に立って私も「車椅子が通ります」と声を上げ続けました。
 なぜ右側?それは、もう一人、おそらくJRの職員ではなく外郭団体の方だと思いますが、白いシャツに黒ズボンの60歳近い男性が一緒に、信ちゃんの左側を歩いていたからです。この方は雑踏の中でも一切、声を発しませんでした。「あなた様は何者?」と、私は心のなかで問いかけました。
 今回同行した、近くを歩いていた義姉は「信ちゃんにぶつかる人が居るのではないかと心配ではらはらした」と後から話してくれました。
 なんとか東北新幹線ホームへのエレベーターに乗り、おねえちゃん(すみません。でも最後まで、私にはこんな風にしか呼ぶ気にならない存在だったので)は降りて右に曲がり、私たちをホームの21番線側に誘導しました。エレベーターの脇ですから、道幅が狭いので、広いところに行きたいと思い、「5号車はどっちですか」と聞きました。目の前は6号車と書いてあります。おねえちゃんは周りを見回します。手元の手帖のようなものを見てから「この列車ではありません。こちらです」とエレベーターの反対に回り右折して、ホームの20番線側に誘導しました。最初から、エレベーターに降りて左に誘導してくれれよかったのに。
 時刻は10時20分過ぎでした。10時32分の列車なので、ホームの21番線側は混みあっています。止まっていた列車が出発し、次の、私たちが乗る列車が入って来ました。5号車の入り口は目の前でした。
 同行していた男性が「スロープ板を取に行きます」と私たちから離れ、おねえちゃんと私たち4人になりました。おねえちゃんが何か言うのかと思ったのですが、無言です。
 世界的にも名高い評価の手早い新幹線内の清掃も終わり、ドアが開き・・・・ここで「おねえちゃん」はをしてくれました。その後、北上から福島、福島から東京の時には、ホームへと誘導してくれた女性社員には、正解の誘導をして貰いました。
 「正解は列車が到着する前にまず、『一般のお客様に先に乗って頂きます』と信ちゃんに説明をし、他にお客様がいないかを『自分』で確かめてからスロープ板を取り付け、『どうぞ』と信ちゃんを車内に誘導する」です。
 東京駅の事があったので信ちゃんは北上駅でも福島駅でも落ち着いて慌てる事なく、一般のお客様の後から車内に乗り込みました。
 4月12日朝の東京駅では、どだったか? 
 おじさんは新幹線のドアが開くとすぐスロープを設置し、それを見ておねえちゃんは即、「さあどうぞ」と私たちに言ったのです。おねえちゃんの対応に信ちゃんがイラついていたのに気づいていた私は後先考えず、とにかく信ちゃんの前に出て車内に先に乗り込み、席に荷物を乗せました。
 ところで、普段でも信ちゃんが車椅子から普通の椅子に移動するには、かなりの時間がかかります。また、信ちゃんが椅子に移動しやすいように、車椅子を通路に斜めに止めざるを得なく、狭い新幹線の中で車椅子の脇を通るのは無理です。
 もたもた信ちゃんが椅子に座るのを待つ間、当然、座席への入り口には一般のお客様の団子が出来上がりました。「申し訳ありませんが、椅子への移動に少し時間がかかるので、お待ちください」と声を上げたのですが、一番前に並んでいたおばさまはあからさまに「いや~な」顔をしました。その後ろで、サラリーマンさんたちがこちらを覗きこみます。
 こんな時、絶対に信ちゃんを急き立ててはいけない。体がしてしまいます。なんとか椅子に座り、お客様の流れが動き始めた時、私は慌てて入り口に行き二人にお礼の声をかけようと見たのですが、入り口前ではなく、二人は少し離れたところでなにやら雑談をしていました。
 そのまま知らん顔をしようかなあとも一瞬思ったのですが、「挨拶はいつでもきちんとしなさい」と、明治生まれの祖母にきびしくしつけられた私。声を上げて二人に呼びかけ「ありがとうございました」と言いました。二人は、ポカンとしたようでした。
 写真を見て下さい。もそもそも、東北新幹線の車椅子座席。本気で車椅子使用者の事を考えていないのではと思ってしまいます。電動車椅子には狭すぎます。

 大宮を過ぎたところで車掌さんが「右側のドアは終点まで開きませんから、ドアの前に置いてはいかがですか」と声をかけて下さったので、言われたようにドアの前に車椅子を置きました。そこには車椅子用トイレがあり、なかなか使い勝手がよさそうでした。
 すべての新幹線の車椅子スペースを、下の写真の新しい東海道新幹線のような車椅子スペースにして下さい。お願いします。お願いします。お願いします。あ~、しんど。

 前編はここまでです。信ちゃんにカメラを渡し、お弁当を並べ、ゆったり自分の席に座ったら、どっと疲れがいました。
 でも、車窓を楽しそうに見てカメラを手にする信ちゃんと新幹線の席に並んで座わっているだけで、ワクワクドキドキ。幸せでした。北上は、あっと言でした。
 後編は来週に。


 大好きな東京駅のこれまでの新幹線ホームへの車椅子通路

(2010年11月 金沢に向かう)

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