車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

14日から大江戸温泉ニュー塩原ホテルへ2泊3日(後編)

 去年、北海道旅行から帰宅した翌日の9月5日。床に倒れて理学療法士さんを呼んでも、彼と二人では70キロ近い信ちゃん(夫です)を痛みなく起き上がりさせる事が出来ず、結局救急隊の方に来て貰いました。コロナで忙しい中、即、駆けつけて貰えた。信ちゃんは本当に運の良い奴です。
 その後、3カ月近くベッドの上での生活が続き、年末に入りやっと免許書き換えの為に動き始め、今年になって週一ですが、毎週月曜日には出社するようになりました。
 1月中旬からは久しぶりに「足漕ぎ車椅子」コギーに乗り始めました。ヘルパーさんの助けを借りて近くの公園で土曜日だけやっている、近所のおじさんたちの楽しい路上将棋を以前は毎土曜日見に行っていましたが、初日はそこそこ距離のある公園までは行けませんでした。ヘルパーさんによれば、「ずっと漕いでいなかったので筋肉がやせてしまい、辛そうでした」との事。さあ信ちゃん(夫です)春に向かって「コギコギ」頑張ってくださりませ。

 あれから2か月が過ぎ、毎土曜日「コギコギ」している信ちゃんですが、まだ今年に入っての公園デビューには至っていません。一度筋肉が落ちると、復活には以前のように戻る迄、3倍の期間がかかるそうですね。信ちゃん、ガンバ。


 さて、2月14日から16日(2泊3日)のキー社員旅行。今回のメイン・イベント。「信ちゃんを温泉入れる」を、14日に決行しました。
 信ちゃんは結局、湯船に入れませんでした。湯の温度がすぎたのです。筋力の低下は、温度に対する感覚も敏感になるのでしょうか…。
 それでも信ちゃんは大満足でした。先発組の3人の男性社員に体が温まるまでお湯を10分近くかけ続けて貰い、「温泉に入ったように体が温まった」そうです。私たちの大きなバリアフリールームではなく、先発隊女子3人が待つ、最大5人までの女子部屋に、幸せいっぱいの笑顔で戻って来ました。
 男子組は「信ちゃんへのお湯かけ」に相当疲れた様子でした。「裸で湯船から洗面器にお湯を汲み続けたのですよ、10分近く」。 
 はい。本当にご苦労様でした。心優しいみんなに改めて感謝です。
 2日目の15日。私たちと右半身不随のハマの3人は、お昼までみんなの滑る姿を少しでも見ようと、スキー場まで同行し、お昼までセンター・ハウスに陣取りました。中央、とんがり屋根の丁度少し左辺りです。

 そこから正面を見るとこんな景色が見えます。

 私たち三人は楽しく、今回同行した小学2年生(スキー)と4年生(スノボ)の初めてのレッスン姿を1時間ほど見守りました。その後、二人はリフトに乗ってみんなに連行されて行きました。
 二人の運命がどうなったか、ワクワクしながら報告を待ちました。 
 考えてみれば当たり前の事なのですが、小学生の若さに感動しました。午前中はただただ、私たちの目の前で転んでいたのに、帰る時には二人共スキーとスノボをしっかり楽しめるようになったそうです。
 先生も良かった。スキーは、子供の頃からスキーになじんできた自称「インストラクター・レベル」の新入社員君。父親から叩き込まれたという教え方で、最後の最後までストックを持たせず、自分の股の間に挟んで小学校2年生と一緒にすべりました。スノボは、北海道出身の社員にみっちり仕込まれたようです。二人は共に野球少年だった父親(社員)に誘われ小学校に上がる前から野球を続けて来ました。日頃から体を鍛えていたので、運動神経も普通の小学生よりも優れていたのでしょう。 


 さて、ハンターマウンテン塩原スキー場には車椅子用の駐車場(写真の中央辺り)

があり、係員が誘導してくれました。レストランが揃っているセンター・ハウスには、車椅子用トイレもありました。ですが…残念な事に、駐車場からセンターハウスまで、車椅子が移動しやすいような配慮に欠けていました。
 私たちは一般のスキーヤーの動線を使ってハウスまで行きました。途中、4段の階段がありましたがなんと言ってもみんなサウンド・エンジニア。日頃100キロ近い機材を持ち運びしているので、電動車椅子に乗った約70キロの信ちゃんを運ぶのはお手のものです。ですが、一般の家族の方に同行したり、場合によっては一人で来た車椅子利用者は、どうするのでしょう?
 ハンターマウンテン・スキー場はとても良いところでしたが、車椅子の動線だけは気になりました。問い合わせてみようかなあ?


 3年前から仲間になったハマ今回、初めて社員旅行に参加しました。5年前に階段から転倒し頭蓋骨を殴打。これまで4回頭蓋骨の切開手術しています。最初は信ちゃん同様、車椅子生活を余儀なくされていました。初めてハマを初台のリハビリ病院にお見舞いに行った時、二人で自走車子競争を目いっぱい楽しんでいました。
 信ちゃんが倒れた時よりも薬や治療方法の改善(だけではないでしょうが)で、ハマは今一人で装具と杖で通勤が出来るまでになりました。左能の損傷だったので、歩けるようになっても言葉に苦労していましたが今では、「少しゆっくりしゃべる人」だけれど、違和感はありません。
 今回は、そんなハマに2つ、教えられがありました。まず一つ目。
 「事前に荷物を宿に送りたいので、誰宛に送ればよいか教えて下さい」
 ハマにそう聞かれるまで私は、彼が手荷物をどうするかまったく考えが及びませんでした。「荷物をもって電車には乗れないので」
 メールでみんなに事前に宿のHPのアドレスを送るまではしたのですが、ハマに聞かれるまで、そこまで考えが及びませんでした。
 旅行帰宅後、ハマから来たメールの一部を紹介します:ホテルも、バリアフリー度が高く( 各スロープ、風呂場の手すり、食堂のカーゴ、食堂の通路などなど ) とても快適に過ごすことが出来ました。
 いつもは同僚に食事を運んで貰っているハマ。自分でカーゴを押しながらビュッフェを選びながら食堂を歩き回れるのが、本当に楽しかったそうです。
 ハマを手伝う事に慣れていた私。ドキッとさせられました。
 二つ目は、東京に戻ってからの事。途中で大好きなコミネベーカリー

に翌日の朝食を買うために寄ったので、先に我が家に到着していたみんなは近くの公園のトイレに行かざるを得ませんでした。「ごめん。自宅の鍵を預けるのを忘れてた
 その時の事。ハマと一緒についてきた少年二人。彼がトイレの前に立った時「杖を持っていましょうか」とお兄ちゃんが聞いたそうです。ハマはその時、「本当に嬉しかった」と報告してくれました。私も本当に嬉しかった
 二人は生まれた時から信ちゃんを知っているので、車椅子対応は完璧です。ハマとも初対面ではないけれど、旅の間で私たちと彼との接し方を見て、言葉をかけたのでしょう。
 二人がスキーとスノボだけではなく、私たちと旅をすることで「何かを得てくれた」という手ごたえを感じました。
 ありがとうね、君たち。また一に、旅しようね。

(2014年 山陰への旅)早くまた、新幹線に乗りたいです!

×

非ログインユーザーとして返信する