車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

倒れてもうすぐ2か月。3歩ですが歩き始めました。

 8月18日から9月4日までの北海道車椅子旅行から帰宅した翌日。信ちゃん(夫です)は9月5日に倒れて、もうすぐになります。
 去年の7月19日にも信ちゃんは、この世で一番嫌いなゴキブリと洗面所で対面して「ひっくり返り」、肩の骨を少し折って一か月、ベッドの上とPCのある部屋に、トイレだけが生活範囲でした。

 今回もまたひっくり返って起きれれなくなり、私ではどうにもできずまず、ベッドの上とPCとトイレだけの世界で1か月以上を過ごしました。


 あの夜から一週間後、親しい友達への報告メールを貼り付けます。


 北海道から帰宅した次の日(9月5日)、信ちゃんは床に倒れて起き上がれなくなりました。理学療法士と看護師に即連絡。救急車をお願いしてとにかく、救急隊の方にベッドの上に寝かせて貰いました。
 どこを触っても痛がるので、腰を打った可能性がある。ケアネージャーに連絡して養護タクシーを手配。レントゲンをと考えたのですが、本人がとにかく「様子を見たい」と目をつぶり、寝始めました。
 3時間後、信ちゃんがポっとベッドから起き上がりました。
 しかしそれ以後、今もまだ歩く事が出来ません。車輪のついた椅子で室内を移動して、ベッドで食事を続けています。


 トイレですが、小の方は尿瓶。ベッドに座ったまま用を足すのがめちゃめちゃ上手になりました。大の方ですか?これも、今はスムーズに決まった工程をこなせるようになったので、私も楽になりました。
 最初はどうしたか?
 まず、車輪キャスターが4つ付いたパソコン用椅子に、足の装具をつけた信ちゃんを何とか座らせ

それをベッドとPCのある部屋から廊下に引っ張り出し、2メートルほどの距離をガラガラと移動させ、トイレまで連れて行きました。
 トイレは17年前に倒れた時、値段がい!と驚いた(私たちの負担は1割でしたが)頑丈な手すりが取り付けてあります。この手すり、信ちゃんが倒れた時にはまだ50代だった私。70歳を過ぎた今の私にも、大変役に立ってくれています。
 最初は椅子に乗せられると怖がって、いろいろなところを信ちゃんが必死に掴むので、私が必死になって椅子を引っ張ろうとしても、部屋と部屋の間のふすまのっ張りにキャスターが挟まったりで、私は「手を放して」と叫び続けていました。
 やがて、必死に何かに捕まろうとはする信ちゃんの力が弱まり、今は私に完全に身を任せてくれるようになりました。
 キャスターの位置も大事。最初は「でっぱり」との位置関係がつかめず、何度も空の椅子を出し入れして、研究?というほどではありませんが、トライ。最終的には、信ちゃんをまず椅子に座らせてからキャスターの位置・度はこれが「最良」という形をみつけました。
 ということで、最初5分近く二人で騒ぎまくったベッド・PCの部屋からトイレまでの移動。今は30秒で行けるようになりました。
 また、最初はパンツの上げ下げをしましたが、今は、下げるのは私任せ。ですが上げるのは一人でやってくれるようになり、それだけでも私はほっとしています。
 一時、「育児ノイローゼ」ならぬ「信ちゃんノイローゼ」になりそうになり、親友が私の話し方がおかしいと、9月半ば、飛んで見舞いに来てくれました。
 そうこうしている中、ワシントンDCに住む友人がFBで、「ヨーロッパでは名画にトマトジュースなどが投げられ、ガラス張りでよかったと言われているが、ここではガラス張りではないので、名画が直接見られる」と書きました。
 車椅子だと、「ガラス張り」の絵画はとても見にくい。信ちゃんにワシントンDCの事を話すと、前々から行きたいと思っていた「スミソニアン博物館ほか」を、来年には行きたいね、という事になりました。
 スミソニアンのウェブサイトを検索してびっくり、というかやっぱ凄い。こんなに短い博物館のアドレス、見たことがありません。


 さあて、また車椅子海外旅行の新しい目標が出来ました。北海道にももちろん来夏、行く予定。9回目になります。韓国にも行かなければ。


 それには信ちゃん、早く歩けるようになろうね。
本人も、しっかりそのです。嬉しいです。



 以前にも載せた写真ですが、来年はまた食べに行きたい。

(2014年8月 羽幌町道の駅にて)

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