朝6時半に自転車で走り、ひらめいた!
信ちゃん(夫)は近所のパン屋さんの「サラダ・パン」がお気に入りです。私は「コロッケ・パン」。ときどき早起きをして、自転車に乗って買いに行きます。
ほんのわずかな時間の違いでいつもの道の、車の往来や人通りがまったく異なるものですね。
昼間はバスを待つ人や、信号では必ず車が停車していて街の活気を感じるのに、先週の月曜日は見事なまでに人も車も見かけませんでした。
そ・こ・で・気持ちよく、久しぶりに歩道をどんどん走りました。
いつもはちゃんとお利口にルールを守り、車道を走ります。
と、歩道を走っていて以前は何の抵抗もなく走り抜けた、大きく内側に張り出た並木と住宅の塀の間。一メートル以上はあると思うのですが、突然その幅を狭く感じました。「これまでは自転車に乗ったまま走り抜けた」と頭では分かっているのに、自転車に乗ったまま通り抜ける自信がなくなりました。
そこで自転車を降り、自転車を押しながら歩いて抜けました。
そういえば、近所の小さな公園の入り口にあるアーチ型の車進入止めポール(アーチシリーズ|SUNBARICAR|製品情報・検索|株式会社サンポール|SUNPOLE CO.,LTD)の間隔。今年の春頃から、「狭い」と感じるようになったのでしょうね。十年以上、自然に自転車で走り抜けてきた、90センチはあるアーチ型のポールとポールの間なのに、自転車から降りて通り抜ける事が増えました。
パンを買って自宅に戻る途中、車がまったく通らない交差点の赤信号で自転車を止めてふと見上げると、ほぼ満月に近い大きな黄色の月が南東に沈んでゆくところでした。
信ちゃんは最近よく、「頭では大丈夫と分かっているんだよ。安心だって。ても、体が動かない」と言うようになったのですが・・・
月をみながら、私はひらめきました!
そうか、この感覚か。
私が思わず自転車を降りてしまうのと、信ちゃんが足を止めるのは、同じ感覚なのではないかと。
信ちゃんの感覚は、本当にゆっくりですが覚醒して来ていると思います。
例えば、駐車場へと向かう通路を歩く行為一つ取っても
1) 最初の一,二年: 通路脇に自転車が置いてあると、行く手を遮っていなくても足が止まり、叫ぶ。「自転車をどっかに持って行って」
2) 数年後: 通路脇に自転車が置いてあっても、さほど気にせず黙って歩く。
3) 最近: いつもの通路に自転車が置いてあると、はっきり自転車の存在を意識して避けて通る。ただし、倒れて来ると怖いから押さえていてと指示する。
周りを見ながら歩けるようになったのだと思います。
さて以前、セラピー・ドッグの例をとり、信ちゃんとペースを合わせて歩けることが、信ちゃんを介護することだと書きました。
今までは歩くだけではなく、食事時間、トイレ時間などなどの日常的行為全般において私は自分の本来のペースを落として、信ちゃんのさまざまな肉体的制約に合わせてきました。随分と慣れましたがそれでもまだまだ、信ちゃんの生活のペースの遅・さ・に苛立つ毎日です。
旅先でのレストランの前の数歩の階段の前で信ちゃんが、「ここ、僕でも大丈夫?」と不安げな声を上げる時、これまでは、もう何回同じような場所を歩いたのよと心の中で毒づきながら、出来るだけ明るい声で「大丈夫」と言って来た私。決して自然ではなく、無理をして来たと思います。
で・す・が・「進歩は、自らが変わることでしか実現できない」
今回の「自転車通り抜け不安」体験で、信ちゃんのペースに対する私の感じ方が大きく変って行く予感がしています。それは信ちゃんの感覚に近づける事であり、同じ目線で新しい環境に自分を置くようになると言う事なのだ! 嬉しい!
これからは、無理にペースを落とすのではなく、年齢を重ねる事で自然に私もまたペースが落ちて行く。そしていつか同じペースになる。そうなった時、私は初めて心・か・ら・信ちゃんに寄り添えるようになる・・・はず。
これからの車椅子旅行。ますます楽しみになりました。
昨日お歳暮で頂いた、美味しい美味しい四国の栗どら焼きを食べました。これは利尻島の栗です。自然の造形って本当にすごいですね。見事にまん丸だ。
(2014年8月)
