車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

車椅子旅行の贈り物: 最上川舟下りから始まりました。

 
 車椅子旅行の贈り物・・・
 旅を重ねるたびに、プレゼントのが高くなります。そ・し・て・・・
 「これまでのプレゼントで一番うれしいのは何?」 と聞かれたら
 「いろいろな場所で出会う、いろいろな立場の方、特にの方々の好意を素直に受けとめ感謝する『』を会得した事」・・・だと答えます。


 説明が必要ですよね。
 
 すみません。話がポーンと飛びますが、ほんの7,8年前まで、東横線のにはエレベーターがありませんでした。都内でも有数の駅だと盲目的に過信して、事前のチェックを怠りました。
 自宅から甥っ子に、自由が丘の叔母の家まで車で送って貰った帰り、「送らなくていいよ。東横線で一本だから」と言い、駅まで到着して。東横線のプラットフォームは2階でした。
 改札口の駅員さんは慣れたもので車椅子と見ると、「ちょっと失礼します」と言い、しばらくして3人の駅員さんと戻って来ました。4人で車椅子ごと、信ちゃん(夫)を2階まで運ぼうというのです。それを・・・
 信ちゃんは断固拒否しました。
 階段に手すりがあったので、手すりに掴まり休み休み、信ちゃんは無事階段を登り切りました。


 それから半年ほど。いつものとの山形(去年の9月には、長崎に行きました:バリアフリールームと車椅子用駐車場のあるホテル(5) - 車椅子旅行は楽しい!)への旅行で、最上川舟下りをすることになりました。事前に幹事の友人から、「車椅子OK」と聞いていたのですが、船着き場にスロープなどはありませんでした。
 どうするかなと思っていると、を履いた船頭さんが二人、さっと信ちゃんの車椅子に近づき、「ほい、ほい、ほい」と掛け声をかけながら舟まで運んでくれました。自由が丘の事があったので、信ちゃんが何か言うのではないかと心配しましたが、信ちゃんは嬉しそうに運ばれて行きました。


 その夜ホテルの部屋に戻り、「自由が丘の時には嫌がったのに、どうして今日はよかったの?」と聞くと、「船頭さんたちは体の出来が違うもの。安心して身を任せられる」
 その時は、「そんなものか」と納得し、眠りに入りました。

 それからは、階段に手すりがなく、車椅子に乗ったまま運んでも貰う以外方法がない時、拒否することはなくなりました。


 信ちゃんは自由が丘の時には本心から、「安心して身を任せられない」と思ったのだと思います。ですが、同時に、それまで「車椅子ごと運んでもらった事がなかった」ので、「身を任す」相手が誰か、というよりも、「身を任す行為」そのものが怖かったのだと思います。
 それまで、基本は一人考え一人行動し一人目的を達成する。それが信ちゃんの日常でしたから。
 それしか方法がないと分かっていても、素直にを含めた他者に「身を任せる」のは、簡単ではなかった。私にも、簡単ではありませんでした。時間がかかりました。
 で・す・が・・・車椅子旅行が、みなさんに自然に・感謝しながら「身を任せるを教えてくれました。


 頭で考えるのではなく、予測するのでも、想像するのでもなく、する。
 Shall we 車椅子旅行


 今はなき石垣島空港で、観光客を迎えるバスガイドさんたち。普通のおじさんだと、ちょっと遠慮しそうな時や場所でも、車椅子だとガンガン近づきます。

(2012年3月)

×

非ログインユーザーとして返信する