車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

2021年9月6日月曜日。病院に行って来ました。


 2021年7月19日21時50分。ゴキを見て信ちゃん(夫です)は転倒。救急搬送されて病院でCTおよびレントゲン検査を受けました。
 下された診断は「左肩近辺骨折」。コロナ接種の後遺症に効くと言われるカコナールを「鎮痛解熱剤」としてたっぷり貰い、「9月5日に、経過を見ますので来てください」と言われました。
 そして今日・・・・
 前回と緊急搬送された時には、ベッドにかされ、肩のレントゲン写真撮影をしました。それがとんでもなく痛かったと、恨み節を繰り返し、理学療法士やヘルパーさんに「ひどい取り扱いをされた」と訴え続けていた信ちゃん。ですが、それも時が経つと共に恨みは薄れてゆき・・・
 今朝急に朝ご飯を食べながら、「またレントゲン撮影はきっと痛いね」と言いました。
 ところが今回は、車椅子に座ったままの撮影だったそうで、レントゲン室から出て来た時にはむしろ、あまりにあっけなく残念そうさえありました。
 レントゲン写真を見ながらの先生のご診断。
 「前回と変わっていませんね」
 「まだ、骨がくっついてはいない、という事ですか」
 「固定されたという事です。良好な回復です。ですが確認のためにまた、10月、診断に来てください」


 今回も前回同様、優しい社員(信ちゃんは小さな小さな舞台音響会社の社長です)が付き添ってくれました。私は、しっかり楽をさせて貰いました。
 10時半の予約で終わったのが11時半過ぎ。お昼です。
 本当に久しぶりに、外食をする事になりました。こうして帰路の途中にある「フォルクス」に寄り、信ちゃんたちはハンバーグとステーキのセットを食べました。私はスープにサラダにパンとご飯が食べ放題で1000円以下の、月曜日のランチセット「チキンソテー、レモンソース」を注文しました。どれもとてもおいしかったです。
 このフォルクスには以前何度も来た事があります。リーズナブルでおなか一杯食べられるので、近隣の会社員の方たちに人気でした。ですが今日は、客数はまばら。ビニール手袋をはめて何もかもを取り分けなければなりません。それにこれまではサラダバーに結構並んだものですが、今日は並ぶことなどなく、気忙しい事もなく、何度も「丸くくりぬいたいか」がおいしくて、お代わりをしました。
 「これ食べやすい。こんな風に出来る?」
 「出来る訳ないでしょ。くりぬき器なんてないもん」
 左半身の信ちゃんは、普通の大きさのおかずや果物にパクつくのに時折、苦労をしています。私は敢えて、小さくして出しません。なんだか「病人食」のような気がして嫌なのです。それにほんのちょっぴり「イジメ」の気持ちもあったりして。ゴメン!信ちゃん。


 本当に久しぶりの、信ちゃんと社員3人の外食でした。1年半以上ぶりではないかな。


 信ちゃんはまだ、玄関から車椅子に乗り駐車場まで行き、車に乗るにも手助けが必要です。
 ですが、意欲だけは一杯! 「早く自分でを運転したい」と言います。
 私ですか? もちろんまた、信ちゃんとドライブ旅行に行きたいです。そこで一つ今回気になった事。
 ガソリンが高い! いつの間にかこの1カ月半の間に、1リットル150円を超えていました。
 けしからん!


 脳出血で左半身不随になる2年前のチュニジアの旅での信ちゃんです。写真はいいですね。こうしてあの時の楽しい時間をしっかり思い出させてくれるから。チュニジアの地方の宿で偶然出会った大阪出身の女性の体験を聞き、旅程を変えてサハラ砂漠で一泊する事にしました。
 旅程を変える事は車椅子になる前は良くある事でした。ドイツで拾ったヒッチハイクの青年に、上を走る高速道路はどこに行くの?と尋ねたら、「ベルリン」との答え。
 それを受けてまったく予定していなかったベルリンへとアウトバーンを走りました。信ちゃんは中年暴走族ですから、もう嬉しくて、嬉しくて。「ドイツ人運転者は、世界一礼儀正しい」そうです。
 ベルリンの壁が崩壊する前年の事です。
 壁が崩壊した年、再びベルリンを訪れました。
 初めての時には眺めるだけのブランデルブルグ門を歩いて通り抜けました。大きな感慨を覚えました。
  どんな事があろうと、時は必ず流れます。今の状況もいつかは、思い出として語られるのでしょう。
 なあんて偉そうな事を言うのは止めて、「信ちゃん、早く車椅子ドライブ旅行に行こう!」


(2003年 サハラ砂漠)

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