我が家の断捨離
私たちは都内の7階建ての全部屋が南向きの小規模マンションの一階に暮らしています。「終の棲家」と考え、22年前にローンを組んで購入しました。信ちゃん(夫です)は高層階に住みたかったようですが、私は高所恐怖症。絶対一階に住むのだと譲りませんでした。
今思うと我ながら、なんと賢い選択だった事か。車椅子の信ちゃんが外出の度にエレベーターに乗る手間がなく、朝窓を開け、わずかずつですが、目の前の金木犀がこの20年間枝を広げて成長するさまを、楽しんで来ました。
さて、信ちゃんが倒れた2005年1月15日から、玄関口のすぐ右手前にある8畳間が、我が家の物置になりました。
それまでは布団にコタツの和風生活でしたが、信ちゃんが退院する日に備えてベッドや食堂セットにソファなど、洋風に変更しなければなりません。その際、ぼーっとして何の役にも立たない私に相談することなく、兄夫婦と親友がかなりの持ち物を捨ててくれました。
ただ、いつか必要になるのでは、残した方がいいのではと考えたが、当面不必要だと思われる物をどんどん、8畳間に足の踏み場もないほどに詰め込んでもくれました。
すでに結婚して20年を過ぎ、思いがけない量の荷物に改めて驚いた私。最初の頃はそれでも、これは必要ないのではとか、これは取っておこうなどと、8畳間になんとか足場を見付けて中に入り、置かれた品物の選別をしようとしましたが、すぐに止めました。
元来料理・洗濯は大好きです。得意はカレー。ルーを使わず、いろいろなスパイスやカレー粉を買い集め作ります。
信ちゃんが倒れてから、好きなスパイス探しで出かける機会が少なくなった私のために、信ちゃんが探し出してくれた専門店のオンラインショップ
でミックススパイスを買いこみます。
いろいろあるミックススパイスの中で、これがお気に入りです。
こんなに料理好きなのですが、整理整頓・掃除が私はまるでダメです。整理整頓に掃除は、信ちゃんの担当でした。今でも片手で寝る前にはきちんと、翌日の着替えを畳んで椅子の上に置いて寝る信ちゃん。私は、ベッドの足元に適当に置きます。
品物の選別を止めた一番大きな理由は、信ちゃんに「これどうする?」と聞くのがなんだか悲しくなったからです。
例えばベルト。信ちゃんはベルト好きでした。海外旅行に行くと必ず「思い出」になると、ベルトを買いました。靴も買いました。ある時期から、「もう捨ててもいいよ」と答え始めましたが最初の頃は、「このベルトどうする?」と聞くと必ず「今は無理だけれど、いつか使う時が来るから取っておいて」と答えました。
3泊5日のパリの車椅子旅行 - 車椅子旅行は楽しい!と満喫したパリ車椅子旅行の新しい発見: - 車椅子旅行は楽しい! で読んだ方にはお分かり頂いたように信ちゃんはずっと、音楽関係の仕事をしてきました。みなさんには耳慣れない言葉かも知れませんが、いわゆるコンサートやイベントの音を操るPA屋さん。音の裏方です。ビートルズ世代どっぷりの信ちゃんは、いつかジョン・レノンとの仕事を夢見て、この仕事を続けて来ました。
コンサートの仕事やイベントに必要な音源(BGM、効果音などなど)を仕事を始めた頃には
に録音していました。そのためのこれはオープンリール: オープンリール - Wikipedia という大事な商売道具で、我が家には2台ありましたが、いつのまにかCDに取って代わられ、さすがに我が家にも残っていません。
ですが・・・信ちゃんが大事に集めたレコード。ゆうに500枚はあります。正直、八畳間の大きな場所を占めています。
ところで、何故今になって、断捨離をはじめたのか。
私はこの2月、年齢を理由にアルバイト契約を延長してもらえませんでした。ど~んと自由時間が出来ました。初めの頃はみなさんとコミュニケーションを楽しむ場が減るとどれほど辛いものか。まったく分かっていませんでした。そしてすぐに、このままでは「うじゃじゃけてしまう(どこかの方言だと思います。友人がよく使っていました)」と一念発起。八畳間を片付けて「サロン」を開設しようと考えました。
信ちゃんが来年1月15日で、倒れて15年になる事も気にかかっていて、何か新しい事を始めたいと思っていました。
わがマンションの住人はその多くが世代交代をして、子供たちが駐車場で楽しそうによく遊んでいますが、その一方で、私は密かにここを「未亡人マンション」と呼んでいます。以前はみなさ元気で、井戸端会議をよくして来たのですが、最近は私も含めて、立ち話が辛くなってきました。そこで、「サロン」とは命名しましたが、実態は「お茶が飲める椅子のある井戸端会議の場」を作る決心をしました。
信ちゃんも、大賛成してくれました。
さあて、「14年間開かずの間」だった「八畳間」の断捨離です。幸いヘルパーさんも乗り気になって下さり、二人で少しずつ少しずつ荷物の処分を始めました。
最初は私の衣服や結婚式、葬儀の引き出物に、お中元やお歳暮用品とお別れです。これまた幸いヘルパーさんが「養護施設に知人がいる。そこのバザーに出しましょう」と申出て、すべてを譲りました。信ちゃんも「ただ捨ててしまうのではなく、誰かが使ってくれる。その上バザーだから施設にとっても多少の収入にもなる。よかったね」と喜んでくれました。。
私はいわゆるふっくりしたタイプ。衣服はいずれも13号か15号です。あまり大きめの衣服がバザーに出る事がないそうで、「すべて売れました」と、ヘルパーさんから報告を受けました。ヤッタネ!
今年中にめどをつけて、来年は必ず「サロン」をオープンします。
そんな中、信ちゃんが言ったのです
「レコードをすべて、処分してもいいよ」
「すべて?」
「うん、もう自分ひとりでは聞けないし」
「・・・」
「ついでにレコードプレイヤーも」
「粗大ごみになっちゃう」
「いいよ。どのレコードにも思い出はあるけれど、CDがあるから」
そうなのです。レコードほど場所は取りませんが、今は信ちゃんの書斎兼ベッドルームに今、DCが1,000枚以上はあります。これらのCDの運命は、今まだ分かりません。
ということで、信ちゃんが「レコードを処分していい」と言った事。信ちゃんの心にどのような変遷があったのかと、私は一瞬考え込んでしまいました。ですがこれで、確実に私たちの車椅子生活が15年目にして、次の段階に入ったのだと思います。
今日はクリスマス・イブです。
昨日信ちゃんは、今年最後の仕事となった、ホテルのクリスマス・コンサートのオペレーションをしました。回転式椅子に座り、信頼する友人のエンジニアの助けを借りて、音を作って行きます。
1時間半ぶっ続けのコンサートが終わった後、全力を出し切って放心状態の信ちゃんを見た彼に、「これまでに回復するのに何年かかりましたか」と聞かれました。
回復?
違います。
昨日作った信ちゃんの音は、デジタル機材が主流になりつつある音楽の世界で、車椅子のオペレーターが作り上げた、新しい音だと思います。
最初の3年間は椅子に座ってはいたものの、信ちゃんはコンサートの途中でウトウトしてしまい、アシスタントをしてくれているエンジアが手伝い、コンサートを続けました。
今朝、昨日のコンサートの話をしながら信ちゃんが言いました。「昨日、スネアの音が満足出来なかった。まだ十分にデジタル卓を使いこなせないからだと思う。トライしたいアイディアを思いついたので、次の時に試してみよう」
そんな信ちゃんを前に私は、「まだまだ一緒に車椅子旅行に行けそうだ」とニタニタします。
神様、ありがとうございます。
みなさまもどうぞ、優しく見守って下さい。信ちゃんはきっと回復ではなく、新境地の開拓を実現すると思います。
来年の最初の、車椅子旅行先はまだ決まっていません。
信ちゃんが倒れる二年前のチュニジアの旅。どこも魅惑のチュニジアン・ブルーに溢れていました。
(2004年1月 チュニジア)



