ManchesterとSwedenの楽しい車椅子旅行(5)
TAXI TOUR物語の続きです。
ヴィスビュー、ストックホルムのTAXI TOURに続き、日本から予約を入れていたManchesterのTAXI TOUR。10時のツアー開始時間かなり前にアパートの前に出た私たちですが、TAXIはすでにスタンバイ。運転手兼ガイドのジョンさんが笑顔で迎えてくれました。
まず信ちゃん(夫です)を抱えるようにして後部座席に座らせると、ジョンさんは電動車椅子を手慣れた様子で折り畳み、軽々と27キロを持ち上げて助手席に縦に押し込みました。
ジョンさんが豊かな経験から作成したであろう運転ルートと歴史や人々の生活にまつわる話。同乗したManchesterに住む友人も「産業革命が何故Manchesterで花開いたのか」が良く分かったと、大いに満足してくれました。
私たちも、ずご~く物知りになった気分でした。
ですが、私にとって今回一番の収穫・喜びは・・・信ちゃんが3時間の間に一度もトイレに行きたいと言わなかった事です。
3時間という長丁場のTAXI TOURとなれば必ず信ちゃんには、1度または2度、トイレ休憩が必要だと思い込んでいました。それに、3時間の行程には、名所見学のために途中で車から1度や2度降りる事も含まれているだろうと勝手に思っていました。
ところが・・・ところが・・・ところが・・・ところが・・・です。
ジョンさんは3時間、ノンストップでしゃべり続けました。
TAXIは3時間、ノンストップで走り続けました。
私たちは3時間、途中下車しませんでした。
車窓に3時間、くぎ付けにされました。
それはほ・ん・と・・・アッと言う間の3時間でした。
尿意を催すにはいろいろな要因があるのでしょう。何かに集中していると尿意は収まるのかなあ。
Manchesterの発祥の地である2,000年前のローマ遺跡見学からスタートしたジョンさんのガイド。一番面白かったのはManchesterの天候を今も大きく左右する、アイルランドから吹いてくる風に由来する話でした。
産業革命時代裕福な人々は、風上の西に住みました。工場の煙を避けての事です。
地主の大農園経営化による「囲い込み運動」で農村から溢れ出て都会に流入し、工場労働者となった貧しい農村部の出身者は、風下の東に住みました。当時のManchesterの東エリアの大気汚染pm2.5なんてものではなく、pm5くらいあったかも。
今も、西のエリアはSalfordというしゃれた住宅街であり、東エリアは移民の人たちが多く住んでいるとの事。まだまだ開発途中の東エリアには、マンチェスター・シティの工事中のスタジアムがありました。
東エリアにスタジアムのあるマンチェスター・シティのシンボルカラーはブルーです。
西南エリアにスタジアムがど~んとあるマンチェスター・ユナイテッドのシンボルカラーはレッドです。
別れ際に聞きました。
「ジョンさんはどっちのサッカー・チームのファンですか?」
ジョンさんは誇らしげに答えてくれました。
「マンチェスター・シティですよ」
次回は、マンチェスターで出会った、FreeWheelの話です。

