車椅子旅行は楽しい!

パッケージ旅行とは違う、「個人でプランを立て」「自由な発想の」「安上がりな」「車椅子旅行のススメ」
「車を運転している時は、自分が左半身不随であることを忘れられる」と言う、17年前に脳出血で倒れ車椅子生活者となった夫との車椅子旅行は、幸せの宝庫です。

車椅子ドライブ旅行だから出会えた場所: 2016年北海道

 クリスマス・にぴったりの、「車椅子ドライブ旅行だからこそ、信ちゃん(夫)だからこそ目に留めて出会えた、幸せの場所」の紹介を、今日はぜひ。


 そこは、今年4回目となった北海道ドライブ車椅子旅行:松前・積丹半島の旅の終盤、定山渓の西にある小金湯から、メロンで有名な夕張へと向かう途中にありました。

 小金湯はとても良いバリアフリーの宿でしたが、貸切家族風呂には手すりが右側にしかなく、バリアフリーホテルあすなろ(車椅子旅行の理想の宿とは:2016年北海道編(1) - 車椅子旅行は楽しい!)での情けない入浴体験の轍を踏みたくなかったので、信ちゃんは入浴を諦めました。
 夕張で泊まった「ゆうばりホテルシューパロ » アクセス」は、「今年はメロンの大当たり年」との事で、食べ放題でした。ウハ、ウハ。おいしかった!


 私は「出たとこ勝負」系ですが、信ちゃんは「慎重派」。どのルートを走り、次の宿泊地へ向かうか。必ず時間をかけて前日までに一人で検討します。今回は、台風10号が北海道を暴れまわっていた時だったので、いつも以上にTVのニュースをこまめにチェックし、地図とにらめっこをして走行ルートを決めました。そんな時の信ちゃんは、本当に楽しそうです。


 さ・て・・・
 初めて北海道ドライブ旅行をした時には、
 周りを見るが信ちゃんにはまったくありませんでした。
 回数が増すごとに回りを見るようになり、
 4回目ともなると、落ち着いてドライブ中も会話が弾みます。
 半身不随になってから運転を再開した当初と比べると、(車椅子旅行の贈り物: のぶこちゃんの一言 - 車椅子旅行は楽しい!。感慨深いです。


 札幌郊外を抜けて夕張川を越えた国道3号線の左手に、その場所の最初の看板が立っていました。それを見た信ちゃんは「こんな所にがある。彼は北海道の人じゃないよね」と言いました。「違うよ。確か東京出身だと思う」
 さらにしばらく両側が畑の県道を走ると、「ここを右折」という看板が左手に見えました。「ふーん、こんなところにあるんだ」と私が言うと、信ちゃんが珍しく「僕、」と言いました。
 基本、自分で決めたルート通りに走ることを第一にしているので、事前に話し合って決めた訪問場所以外の、突然の寄り道を信ちゃんは、あまり好みません。
 その時は、違いました。何かが信ちゃんに話しかけたのかなあ。あの時の決断に感謝です。
 右折して数分走ったところにはありました。

 そこは、不思議な空間でした。そして坂本九さんについて、それまでまったく知らなかったことを教えて貰いました。
 私たちにとってさんは「夢で逢いましょう」などの音楽番組で活躍し、映画にも主演した人・気・ですが、私たちよりも2世代は若い職員の方は、「北海道に住む私たちには、坂本九さんは歌手というよりも、日曜日の朝に放映されていた番組の司会者というイメージの方が強いです」と話してくれました。「そんなに大スターだったのですか」


 1976年10月3日から1985年9月29日までの9年間、さんは、札幌テレビ(STV)放映の「ふれあい広場サンデー九」(ふれあい広場・サンデー九 - Wikipedia)の司会を務めました。これは今に至っても、民放で唯一社会福祉関連のレギュラー情報番組だそうで、番組の内容を聞けば聞くほど、そのに驚きました。 
 九さんが生きていて、この番組を続けてくれていたら、介護の世界に新しい、いろいろな流れを作ってくれていたのではないのかなあ。残念です。


 記念館の誕生物語が詳しく書かれた優れたブログです。

 、ゆっくりとご覧ください。


 もし、今このような番組が誕生することになったら、司会者にふさわしいのはだ・れ・なのでしょう。
 残念ながら、誰も思いつきません。
 いろいろ探したのですが、まだ、ふれあい広場サンデー九」の画像、見つけられていません。
 見たいです。とても
 そしてこれからも、の・ん・び・り・の・ん・び・り・の車椅子旅行だから気付き・出会あわせて貰える、素敵な場所に寄り道をして行きたいと思います。


 


 ラスベガスの帰路寄ったサンタモニカの夕日。今日も、暖かなクリスマスを迎えているのでしょうね。

(2000年1月サンタモニカ・ビーチ)





 


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